“ た い せ つ な お と も だ ち ”


 ヨーロッパ人の“ぬいぐるみ”に対する意識は、日本人の
 それとはだいぶ違うようです。

 日本では、「ぬいぐるみは女の子の玩具」といった意識が
 根強い。だから、男性がぬいぐるみを大切にしていると、
 「ヘンだ」と思う人が多いし、女性でも「大人になったら
 ぬいぐるみなどは手放すのが普通」といった通念が横行し
 ているように思います。

 しかしヨーロッパの文化では、ぬいぐるみを生涯の友、あ
 るいは家族の一員とし、ずっと大切にすることが多いよう
 です。だから、大人だろうと、男性だろうと、ぬいぐるみ
 を大切にしていても日本のように変な目では見られないの
 だと思います。

 例えばドイツでは、男の子が産まれたらテディベアを贈り、
 贈られた本人はそれに名前をつけてずっと大事にするとか。
 たとえ大人になっても……結婚しても。
 子や孫が出来る年になっても。

 日本人の感覚とはだいぶ違いますね。国際的な視野で考え
 ると、大きくなってからぬいぐるみを大事にしていても普
 通だということになります。だからもちろん、アイリスが
 ジャンポールを「手放す」ことなんて有り得ないと思いま
 す。いくら年齢が上がっても。
 「いつになったら手放すのか」などと考えること自体、
 あんまり意味がない、と私は思います。

 日本では、ある程度の年齢になると、
 「いいかげんにオモチャから卒業したらどうだ」とか
 「○○歳にもなってそんなものに夢中になって」などと
 よく言われます。そして愛しいもの、大切なものから無理
 に引き離されます。そういった、ある種の冷たい別れが、
 当然のように行われ、それが普通であると、世代を通じて
 意識化されていきます。
 そのような「別れ」は、心の成長の面において大事な場合
 もあるでしょう。しかしそれは、いつでもどこでも誰にで
 も共通する大事さではありません。

 アイリスにとって、ぬいぐるみはかけがえのない“おとも
 だち”です。特にジャンポールには、家族同様の深い愛情
 を抱いていますね。

 アイリスがジャンポールから“卒業”する必要はありませ
 ん。ジャンポールは「モノ」ではないからです。「友達」
 であり「家族」であるからです。「寂しい時の慰め」なん
 て狭いものでもありません。だから、「いつか、アイリス
 がジャンポールを必要としない時が来る」という予言があ
 るとしたら、100%ハズレです。

 フランスでは ヌヌルス nounours と言うそうですね。
 「ぬいぐるみの熊ちゃん」といった意味だとか。
 それは少女時代の「玩具」ではなく、一生の「心の友」。

 ジャンポールは時々、一人で歩いたり、空を飛んだりして
 いますが、あれはアイリスが霊力で動かしているんですね。
 「実はジャンポールは生きていて、自分の意志で動いてい
 る」という説もあるようですが、私はそうは思いません。
 ずっと、霊力で動かしているうちに、ほとんどオートにな
 って、アイリスが何も考えなくても動いている、というぐ
 らいの状態にはなっているかも知れませんが、「独立した
 意志を持って動いている」とは思わないのです。
 (でも妄想の中では時折意志を持って動いてます/笑)

 ただ……、ジャンポールが“心”“意識”を持っているか
 ということになると、話は違います。それを“いのち”と
 するならば、ジャンポールには、広い意味での“いのち”
 が宿っていると思います。
 幽閉時代からずっとアイリスと共に生き、共に“成長”し
 てきたのではないかと思うのです。
 常にアイリスの胸に抱かれ、愛情や優しさを注がれ……
 時にはアイリスの悲しみや寂しさ、アイリスの涙をその体
 に吸い込み……
 そうするうちに、いつしか、ジャンポールの中にも……
 アイリスに対する“いたわり”が生まれた。

 「アイリスを守りたい」という感情が。

 私はそう思うのです。
 アイリスの強い霊力ゆえにもたらされたものとも思えます。
 ですが、「守りたい」というのはジャンポール「自身」の
 思いであり、アイリスが作り出したものではありません。

 そのうちに、アイリスを悲しませるものに対しては怒り、
 アイリスの喜びに対しては、共に喜ぶことを覚え……
 そうして様々な感情を持つようになり、さらにさらに、
 アイリスにとって大きな存在になっていった。

 そのようにして、ジャンポールに命が、心が宿った。
 いや、心とか命とか魂とか、そのように定義できるもので
 はないかも知れません。“ジャンポール”という、世界で
 たったひとつの「存在」です。

 ジャンポールは、しゃべれません。だから、アイリスの思
 いを受け止めることは出来ても、自分の思いをアイリスに
 伝えることができない、悲しい存在ともとれます。
 しかし私は、ジャンポールは何らかの形で、自分の思いを
 アイリスに伝えているのではないかと思います。

 それは、はっきりしたテレパシーのような形ではなくとも、
 肌と肌、視線と視線を通して伝わる“ぬくもり”のような
 もの……そこに全てを込めているように思うのです。


    

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