“ ち っ ち ゃ な 天 使 ”


 アイリスはいくつになってもちっちゃな天使。
 背が伸びても。年を重ねても。ずっとちっちゃな天使。

 おませだけど澄んだ心を持っているアイリス。
 アイリスは早く大人になりたい。それなのに、真っ白い天使のような幼い心を手放そうとしない。
 これは無意識でしょうか?

 2006年新春歌謡ショウ『跳んでる花組』を観て、アイリスが何故はやく大人になりたかったのかはっきりしました。
 「おにいちゃんの恋人になりたい」とか 「みんなと対等の立場に立ちたい」とか
 そういうことだけではなかったのです。
 アイリスは、周りのみんなの自分への愛を感じていた。それに応えようと、早く大人になろうとしたのです。

 「大人になる」というのは、なにも無理な背伸びをして余計な知識を得ることじゃない。
 人を傷つけ、傷つけられても平気になることじゃない。そんな寂しく悲しいものじゃない。
 純真さを捨てながら不純物を代わりに取り入れていくような成長が「大人になる」ことではないと思います。

 大きな愛で周りを包むことができる、それが本当の大人じゃないかと私は考えます。
 アイリスはそんな大人になっていくでしょう。
 いや、そういう意味では既に大人になっているでしょう。

 アイリスの心は大人顔負けの愛に満ちています。それが分かっている人ならば…
 大人になりたいのにいつまでもちっちゃいとか、ずっと子どもっぽい話し方や仕草をするとか、
 そういうことで「アイリスは矛盾してる」などとは言わないんじゃないでしょうか。

 アイリスが可愛いのには理由があるけれど、アイリスがちっちゃいのに理由は無い。

 年齢のわりにアイリスは幼すぎるとか、小さすぎるとか。そういう言葉はあまりに無神経。失礼です。
 あの小さく華奢な容姿も彼女の愛らしい性質、個性です。通念や平均値という幻は、個性には通用しません。
 アイリスの心も身体も全部、奇跡であり個性です。

 身につけるものも個性の表れ。アイリスだから似合う服がある。
 アイリスだからぬいぐるみを抱いていても釣り合う。「小さいから」じゃないんです。

 全ては個性。「年齢に合わない」「普通はこうだ」「普通はこうする」…それらは全て、幻です。
 個性を重んじると言う割に「大勢の人と違う」ことを問題視する風潮は無くならないですね。
 そこから差別が生まれ暴力がのさばり、人間は過ちを繰り返してきたんでしょうに。

 ……余談でした。アイリスの話に戻します。

 アイリスはどんな天使なのかということ。

 アイリスはきっと、
 アイリスを優しく守ってくれて、同時にアイリスの癒しを必要とする…
 そんな人々に出会い、仲良しになりなさい。…そういう「使命」を持って生まれたのではないでしょうか。

 だからいつも、いつまでも、アイリスの魂は「ちっちゃな天使」であり続ける。
 アイリスに出会うべくして出会った人々に、微笑みと幸せと安らぎを与え続ける存在。

 いつかアイリスの目指す「大人」になっても、さらに年を重ねていっても魂のかたちは変わらないでしょう。
 天使の輝きを持ったまま、さらなる魅力も加わり、本当の意味で「成長」していくでしょう。
 大事なものを捨てずに成長する。それこそ本当の「大人」への道です。

 私も遅ればせながらアイリスを見習って生きています。
 今からでも遅くはないと思っています。



                                    2006 2 書き直す じょや

    

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